みなさま、おつかれさまです。
ここのところ自分のキャパ以上にがんばり続けてしまって反動が来ている、そんな方をよく見かける気がします。
自分はまだまだがんばれていない
この程度じゃもっとがんばってるひとに悪い
自分がやらなきゃいけないんだ
こんな風に自分を追い込んで追い詰めてしまうのがわたしも得意です。
本当にみなさま、いつもお疲れさまです。
もっとがんばらずにゆるっと適当に生きても問題ないと見聞きします。
わたしもがんばることをがんばるぐらい生きることが不器用ななので、がんばらなくていいというのはにわかに信じられないところがあります。
実はみんなわたしが思うよりもがんばるところだけがんばって、選択と集中をしているそうです。
自分ががんばることで何とかしようとするタイプなので、想像が及ばないところがあるのですが言われてみるとたしかにそうなのかも……? と思うことがあります。
自分だけが余裕がなく周りが自由に過ごしているように見える
自分はこんなにがんばって日々を過ごしていて、自分の時間も休息も犠牲にしているのに、どうして周りは趣味の時間や自分の時間を謳歌しているんだろう?
そんな風に考えることがある方は、わたしと同じくがんばらなくていいところまでがんばっている可能性大です。
あなたもわたしも、もっと自分の時間を取ることを優先していいのです。
おそらく、自分ががんばらないと仕事や家事や部活動など停滞してしまうと考えているのではないでしょうか?
もし違っていたら読み飛ばしてください。
けどそれは周りを信じていないという傲りでしかないということを認める必要があります。
たしかに自分が率先して行動しないと問題や課題が山積みになってしまいます。
事実として問題はあるかもしれません。
だけど、あなたやわたしが先んじて問題解決してしまうことで周りの人は「やらなくてもいい」もしくは「問題が起きることすら知らない」という状態になっているかもしれません。
不安は募ったり多少のストレスを感じるかもしれませんが、自分を優先して自分がやりたいと思えないことはがんばらないことをしてみませんか?
少しずつがんばらないことをがんばるということをして、がむしゃらにがんばれば何とかなるという思い込みを手放せたらと思うのです。
もちろん、これはわたし自身への言い聞かしでもあります。
自分がやらなくてもいい領分までは、がんばらなくてもいいんです。
あなたががんばらなくても、誰かにがんばってもらうという選択肢を取ってもOKなんです。
特定の誰かだけががんばり続けていないとまわらない状況というのは、そのシステムがそもそも間違っています。
自分を守れるのは結局のところ自分です。
自分はこれだけ我慢しているのにやりたい放題しているひとが憎い
自分は嫌なことも耐えて酷い言葉にも我慢して、揉めないようにいつも気を遣っているのに、あの人はやりたい放題やってもずるいことばかりしていても幸せそうに過ごしている……。
そんな風な考えが頭を占めるようになってきたときは、睡眠不足・栄養不足・休息不足のどれかまたは全部が当てはまります。
がんばり続けていることで、自分で思うよりもエネルギーを消費していたり消耗していたりします。
まずはしっかり睡眠を取ってみましょう。
栄養は肉を薦める人が多いですが、がんばり続けているときやストレスがあるときには胃腸に優しいものをおすすめします。
胃腸が弱っているときに消化に時間がかかり脂が多く負担のかかる肉を食べるのは、食べた瞬間だけエネルギーが復活したように感じるだけで実際はより体に過酷な状態を強いてしまいます。
雑炊やおじやなど消化もよく温まるものは、胃腸に優しいだけではなく一息つかせてくれます。
スープや温かい飲み物もいいですね。
それでも相手を許せない気持ちが強いままということも往々にしてあります。
自分が負担を強いられているのに、相手がぬくぬくと順調に生きているのを見ると憎い気持ちや嫉妬心やいろいろ嫌な感情が吹き出してきます。
実際には相手には出さないのですが、こういうことをされて嫌だった・こういうことをしてやりたい・こういうことをしろといった内容の相手宛の手紙を書いてみるのもストレス発散できていいですよ。
自分を労う手紙を書くのも思わぬ浄化作用があってすこし気持ちが持ち直せます。
ちなみにわたしは、生涯を終えて転生できたとしたらあの人はこれまでの善行ポイントがマイナスになってしまってるからかなり過酷なスタートをするだろうなと考えてやり過ごすようにしています(笑)。
闇深い対処法ですが、心の中は自由なはずです!
世の中にはこんな考え方もある
がんばり続けないと! と思って行動していると自分が絶対正しいというような考え方に固執していってしまうときがわたしにはあります。
なので、自分と考えが違うというだけで相手は間違っているに違いないとなってしまう危険性を孕んでいます。
そんな風に決めつけたり断罪したりしないようにと、「こんな風に考えるひとがいるんだなぁ」と自分とは違う考え方を知れたと考えるようにしています。
がんばっていないひとを見るとどうしてがんばらないのかという気持ちが芽生えたりしますが、主観でしか見られていないからこそ起きる思い込みだと気づけるようにと意識しています。
がんばることが当然だと思っているわたしからの視点でしかないので、誰しもががんばることができることを前提に見てしまっています。
しかし、わたしとしても意外ですががんばり続けることができるひとは思うほどは多くないようです。
そもそも行動するひとが30%もいないという話を聞いたこともあります。
しかも継続できるひとは5%だとか。
それならば逆転の発想で、いまのがんばりを100%とするならば60%〜40%まで減らしてもいいのではないだろうかと思うのです。
100%の力でがんばることができても定期的にメンタルや体に不調を来すなら、40%〜60%の力でも継続してできる方が自分にも優しく他人に無意味に厳しくならずに済むのではないかと思っています。
わたし自身もがんばらないということを覚えていきたいです。
十分すぎるほどにがんばっているから今度は自分のために優しい時間を
がんばり続けることに限界を覚えているひとは、ぜひ自分ができるがんばりがどのぐらいなのかを考えてみてください。
いまよりも全然タスクをこなせないとしても、自分のキャパ以内で動いて、自分の時間を作れるようにしてみませんか?
意外にがんばっていなくても、物事は上手くまわるかもしれません。
もし仮にまわらなかったとしても、100%全部があなたのせいなんてことはありえません。
ここぞというところはがんばって、それ以外はゆるっと適当にがんばりましょう。
わたしもがんばらないことができるようになったと報告できるようにゆるりとやっていきます。